2007年04月12日

うまれましたよ

▲手代木です。

札幌公演も2日目ですね。どんなお芝居なのかな。事前情報がほとんどないので非常に楽しみです。
日曜日のお昼に行きますね。
どれくらい事前情報がないかというと、開演時間と会場がわかるくらい。タイトルだってあやしいもんです。だから書けない。チケット代もしらないもんね。チラシも見ていない。
入院してるとこんな感じです。
しかも今ノートパソコンがこれまた入院中。大事な手帳その他の入ったカバンはなくすし、割と踏んだり蹴ったりなここしばらくで、脳みそもどろろとしとります。

さてさてそんなアホウな私ですがこれで34歳になりましたよ。なにがどう心境が変わるとかはないですが、年齢とは「とる」ものなのか「重ねる」ものなのか、どっちがよいのか悩んだりしています。
人間のおかしなところは進化あるいは成長は同時に退化やこどもがえりを含んでいることにあるように思います。

あー、なんだか難しいことを書くのがさいきんは苦痛です。話すのはよいのだけどね。
入院生活はとうとう半年を過ぎました。記録更新中。
それでは劇場にて。
体調のよいことを祈ってくらさいな。
posted by 番長 at 20:45| Comment(42) | TrackBack(6) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

おかえりなさいなさいな

▲手代木です。

最近、大事なかばんを落としてすっかりへこんでいます。
あいかわらずの入院生活。
はっきりとは決めてませんがしばし大学を休学しようかなと思ってます。まずからだがついていかないので。動けないロボットは鉄のかたまりと変わらないのです。

ここもしばしサボってましたが、なんせ精神状態が最悪でどうにもなりませんや、あはははは。
東京はいかがでしたか?
もう春でしたか?
北海道は梅と桜とが一緒に咲くのみならず、一気に春がやってきますよね。

一気に春
長めの初夏
短い夏(らしきもの)
初秋
短い秋
ながーい冬

こんなもんでしょうかね。
僕は北海道の6月中旬ころが一番好きです。

しかし今回は本当に長い入院です。もう少しで半年になります。そりゃ脳みそもやられますわな。
同年代の演劇人が活躍するのを見たり聞いたりして羨ましいやら悔しいやら嬉しいやらなんだか複雑な気分です。
まぁ別に寝たきりというわけではないのであれこれとはしているんですが、なにより僕は「病気じゃない自分」が欲しいです。まさにないものねだり。
これでまともな脚本の1本でも書ければよいのでしょうね。
そうはしたいのだけどなかなか病状が許してくれません。うーむ、悔し。
なぜ自分がそこまで演劇にこだわるのかも実のところよくわからないのです。
番長はどうして演劇にこだわるのかな?
注射をしてても、無性にイライラして自傷しかねなくなっても、おなかが痛くても、とても寂しくてどうしようもなくても、演劇をしないという選択肢は僕にはないようです。
とにかく現場にいたいんですね。
むしろそちらの病気の方が重症です。

いつか番長は演劇は祈りだと思うという主旨のことを書きましたね。
なんだか僕にはとてもよくわかります。頭で理解したんじゃないけど、気持ちとして。
祈りは苦しいときもあるけれど、一種快楽のような気もあって、たとえば舞台に立っているときが一番快の状態にあるように思うことがあります。
誤解を恐れずに言えばもっとも自由な状態にあるように思えるのです。
もしかすると演出というポジションはもっとも不自由な位置にあるのかもしれません。

さて、札幌公演ですね。
ばっちり外出届、否、外泊届を出して観に行きますよ。
posted by 番長 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月26日

絶賛絶不調

070224_2017~01.jpg▲手代木・トム・敬史です。

文字バランス悪いなぁ。

さて近況報告ですよ。
治療としてはゆっくりと順調にスケジュールをこなす日々です。要するになにもしないのだ。
やや貧血気味。
それもあって1日中からだがだるいです。
精神的にもあんまりパッとはしないですな。
久しぶりに派手なパニック発作を起こしました。
「気が狂ってしまうんじゃないか」という強迫観念にどどーんと押し流されてからだが緊張して震えが止まらなくなります。
入院している病院は内科メインで精神科はないので看護師さんもびっくりしていました。
なーんとなく元気ではあるけど、基本的には不調といったなんとも中途半端な状態。
連動してパソコンがおかしくなりました。彼も入院です。
映画はプレステで観ることになりまして、今年に入って90本に到達しました。
あいかわらず活字離れが進行中です。こちらも久しぶりにブランクができそうです。
なんだかまるでだめな人ですね。

ま、なんつーか、景気の悪い報告ですが、割といつもこんな感じさ。
のっぴきならないのは僕という人間そのもので、外に開いていくにはそうとうのエネルギーを使います。
気がつくとなんだかかわいそうな人なのかもしれません。
でも、違うと思っています。
強がりでも、優等生的なポジティブシンキングでもなくて。
苦しいし、しんどいし、痛いし、嫌だし、不安だし、辛いけれども、ある意味「こゆい」人生送れてるなぁとか、それはそれできっとどっかにごほうびがあって、こりゃそうとうでかいごほうびだぞ、とか。

あ、それと人間観察ができる。
半端じゃなくじっくり。
大きな部屋にいると入れ替わりがあるので、ちょっとした旅感覚も味わえます。今は2人部屋だから、お隣観察がメインですが。

そんなこんなでぼんやりしていると、ふと思います。

この現実を演劇は乗り越えられるのか。

たぶん「No」です。
観客としての僕は「No」です。
でも作り手としては、それゆえに演劇をするのだとしか言えません。
いや、それは演劇である必要はないのです。
でもこのどうしようもない「現実」を表現を通して変える作業をしなくちゃいけない。
僕は僕の抱える「現実」ゆえに表現をします。

お前の「現実」なんかに興味はないよ。

僕にとって僕という存在は覗き窓みたいなもので、僕はそこから「現実」を眺めます。
それは僕の「現実」かもしれないけど、確実に世界に自然に宇宙につながっています。
そこで「現実」同士が触れ合ったとき、表現が生まれるんじゃないかと。

表現とは
はじめでありおわりなんじゃなかろうか。

「私はアルファでありオメガである」

って、かみさまの話かよ!
posted by 番長 at 23:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

近況報告ぎみに

041211_hatena02.jpg▲最近トムと呼ばれた手代木です。

たまに外泊します。
たいてい打ち合わせがあったりなんか用事があったりするからで、フリーの外泊はないですな。眠る環境としては病院が暖かいし、「今の」生活基盤でもあるから、あんまり積極的に外泊はしません。
夏ならばほいほいとするのですが、冬の外泊はなんせめんどくさいのです。

先日も外泊をしたんですが、そのときに知り合ったガイジンさんに「これからトムと呼んでいい?」と言われたので「いいよ」と答えときました。トムです。
クリスチャンネームが使徒トマスなのと、テシロギヒロフミっちゅうのは日本人でも難しい名前だからというあたりからトムになりました。
よくわからないのが「トムはトムっぽいよ、うん」なんて言われたことでしょうか。「トムっぽい」ってどういうことなんだろう。
そんなわけでその晩は彼と午前5時すぎまでマニアックかつディープな話をしたんでした。
まったく不良患者です。

入院は100日間を越え、観た映画は間もなく100本になります。入院前半は映画を観ていないので、1日に2本平均くらいでしょうか。
約2ヶ月の絶食を経て現在は昼食のみ食事が出ます。それ以上はおそらく出ないでしょう。
クスリはおなか・脳みそともに増えました。少しですが。
で、「お前はいつ退院するんじゃい」という話ですが、よくわかりません。大学はお休みだし、とりあえず稽古もないので、雪解けまではいようかなと思ってます。
そうなると連続入院日数としては記録更新となります。ありがたいんだかありがたくないんだかよくわかりません。
しかし周囲の人々に言わせると「入院している方が安心」なんだそうで、やはり稽古場のある病院をつくるべきなんでしょうね。
あいだ、バレンタインデーなんてもんがありましたが胸トキメクようなサブライズなどみじんもなく、淡々と時間は過ぎゆくのでした。

かみさまについては別のところに書いたりもしましたが、今の実感としての結論は「僕には信仰が必要だ」ということのようです。
必要なのはそれだけではないですが、なんだか最近はよく祈るようになりました。
演劇もまたひとつの祈りだよね。
それからことばにならない祈りについて考え始めています。
それは実際にことばとして祈っていなくても、祈っているなぁと感じることがあるからです。一瞬だけどね。そうすると少しこころが軽くなります。ため息のような祈りとでもいうのでしょうか。これが最近のお気に入りです。

というか、精神的にまいってはいるみたいで、どうもいけません。
どうもいけないのはしょっちゅうというだめな人間ではありますが、やはり長期入院は精神にきます。
思うに居場所の喪失感なんじゃないかと。
病院はいずれ退院します。
さてそのあとシャバは僕にとって適当な居場所なんだべかなぁという不安なんでしょう。
やることはあるのでやらねばならんのですが、そういうのとは少し違うようです。
僕という存在への違和感なのかなぁ。自己否定ではなくて。
大きくまとめるとただの情緒不安定ってことなのかもしれません。
でもていねいに探るとまれに新しい視点を発見したりもします。
ものごとを一刀両断でわりきれないだけといえばその通りで、同じところをぐるぐるしているのです。

まぁ、しかし、なんつーか、元気だよ。
posted by 番長 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月07日

こちらも缶詰

VFSH0447.JPG

缶詰中は、なんかどっか覚醒していたので、番長もあんまりたべなくなりますねえ。でも栄養ドリンクがぶ飲みなので、ふとる。

にてますねえ。

消化、という運動を休むと、からだってどう変化する?かわんない?しりたいなあ。

日本人は無宗教だなんていう人もいますが、むしろ多宗教なんでしょう。
年末年始だけでもクリスマスに除夜の鐘、初詣と実に忙しい。
2月だって節分して「建国」記念して、バレンタインだ。
実に忙しい。


これおもしろいね。

オウムの事件ではっきりしたのは日本人の宗教への自覚のなさだと思うのです。特に当時のマスコミは彼らの反社会性と宗教性をごちゃまぜにして語っていたし、その体質は今も変わっていないと思います。

たしかにそうかも。宗教というものの本質が判ってないから、飲み込まれたり判らなくって毛嫌いしてしまうところがあるんだろーなー。
内臓みたいに、ずっとそれに関わってきたのにどんな形かどういうふうに動くのか知らない、というかんじなのかもしれませんね。
わたしが確かに関わってきた神道というものを知るために、古事記のお芝居をやったんだよなあ。

かみさま苦手体験はごめんなさい続くのですが、中学生のとき、同じ部活の女の子が「狐がついたから」と辞めちゃったとき、理解不能で理不尽な思いでした。
高校生のときは、占い師のおばあさんのところに遊びに行って「あんたには妬みの蛇がついてる!」と錫でぐりぐり突かれちゃったのが痛くて嫌だった。「だって前世なのよ」とスピリチュアルなものを回答に持ってくる友達と話していると、なんとなくいやな気持ちになります。
それは対話が断絶されるからかなあ。だってあなたに蛇がついてる!とか、こちらが見えないものに対して断言されると苦手ですね。向こうの正義から動かないから。「いや、蛇というよりどっちかつーとかえるじゃない?」って、対話が続かないから。

うーん、これは別にかみさま魑魅魍魎の話しじゃなくて、単純に絶対正義を持って断言する人が苦手、という私の性格の話のようです。


なんとなく気がついたのですが

テッシーは「かみさま」について話していて
わたしは「信仰と会話すること」について話しているのかも。

かみさまのお話しではなく「神様とおはなしできねーんだよ!」というお話になってるのは、「テッシーほどかみさまのことを知らない」からかもしれないね。おはなしについて行けなくて「神様とお話しできない!」はなしになってんのかもなあ。

自己分析。

たぶん神様のことをたくさん知って幼いころから信仰を自覚して生きてるテッシーと、神様についてお喋りするには信仰のことをもっと知らなくては会話ができないんだろうね。

おはなしできるようになるには知ることしかねえなあ、と。

「きつねがつくとどう苦しい」とか
「その人の『前世』はどういう認識なのか」とか

もすこし知ればまだお話しできたかも、と今思いました。

オウムと9・11以降「信仰をなにかの絶対正義として行使する人」とどう対話すればいいんだろうと、思い始めた気がします。

テッシーが云うように「反社会性と宗教性をごちゃまぜにして」しまうくらい、なんにもわからなかったんですね。

以前イラン国籍の男性とお付き合いしたんですが、まあまあ深くなる前にふつうの男の子と女の子のごたごたで逃げちゃったんですが、そのまま続くと彼が一夫多妻制であるとか、こっちは被爆国なのにおまえんとこなんで核開発してんだとかいろいろあったかもしれない。人類みな兄弟という牧歌的なことをいえない大変さは、実際あったかも。

彼がイスラムだからじゃなくね、ほかの宗教を信仰する人と付き合うようなことが、さいきん身近にたくさん存在してるなあと思うんです。

信仰がよくわかってないから「なんでそんな木彫りが大切なの!?」というような「その人の『正義』や『大切』が全然わかんない」というものまでごちゃ混ぜで云っちゃうんですが、「信仰の違う人と話す方法はなんだろう」と、とても思うんだ。

今日は韓国の演劇人と懇談会があるぜ。

「共通言語のない人」との対話の方法はなんだ?



ここんところたくさん考えるんだ。

相手の言語をまず知る。

ことと

非言語の部分を研ぎ澄ます。(これは共通言語としてもってるものを探す、ということかもしれない)

そのへんが

さいきんのがんばりどころかも。


ぐちゃぐちゃ文章だよ。

ねむいよう。



つづく



posted by 番長 at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

節分ですよ、おっかさん。

070126_0719~01.jpg▲手代木です。

最近なかなかうまく眠れないテシロギです。
眠れないときって眠る方法を忘れちゃってるんです。眠りに落ちるという感覚がお休みしているのだなと思います。

さて本日の画像、これが噂の(?)エレンタール(完成版)です。
このボトルに水を入れたあと、エレンタールの粉を入れてリンゴやらオレンジやら味付けの粉も混ぜシェイクすることしばし。
こんな感じになります。
こいつはご飯がわりですが、薬品なんで処方箋がないと入手できません。
何を言いたいかというと、僕はこの2ヶ月間、ほとんど食べ物を食べていないのです。
それでも体重は増えるし、脂肪肝にはなるし、よくわかりません。
食べて太る、酒で肝臓やられるなら納得いくけど、点滴と栄養剤で「ぜいたくな」状態になるなんて不条理というやつです。
よくよくこれは不幸というものですがケナゲに生きてゆくのです。

これがかみさまからの贈り物だとするならば、何か意味があるはずで、そいつを人のために使えということになるわけです、キリスト教的には。
それは前にゆきえさんが書いていた、なんじゃそりゃの世界ですが、考え方からすると被造物たる人間が神様の意思に従うのは当然といえば当然でもあります。人間でいうとロボットにロボット三原則を適用するようなもんです。
いろんな形のかみさまがあっていいと思うけど、もってないよりもってる方が精神的にも肉体的にも楽だとは思うな。
オウムの事件ではっきりしたのは日本人の宗教への自覚のなさだと思うのです。特に当時のマスコミは彼らの反社会性と宗教性をごちゃまぜにして語っていたし、その体質は今も変わっていないと思います。
地下鉄サリン事件の際に欧米のメディアはこれを「テロ」と表現していましたが、当時の日本のマスコミはそのことばすら出てこなかった。曖昧な表現しかしてこなかったのです。ただあの教団に対する不安感や憎しみを煽るだけだったという印象です。

日本人は無宗教だなんていう人もいますが、むしろ多宗教なんでしょう。
年末年始だけでもクリスマスに除夜の鐘、初詣と実に忙しい。
2月だって節分して「建国」記念して、バレンタインだ。
実に忙しい。

日本人は忙しいというお話でした。
posted by 番長 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月26日

この本、おもしろい。

070117_2052~01.jpg▲手代木です。

ゲームと映画な日々です。

入院中に書いた台本で納得いくものが書けたためしがないので、台本は書きません。
シーンを空想しては遊んだりしています。ぶつぶつセリフをつぶやいたりね。

宗教体質というのがあるのかわかりませんが、教会に限らず神社やお寺やお墓に行くと気持ちが落ち着きます。聖堂で5分間ひざまずいて祈るだけでずいぶん気持ちがすっきりすることもあります。
これは考え方というよりはからだにしみついた体質、あるいは刺青みたいなもんです。
祈るならどこでもできるしね。
だからあんまりにも近いのでうまく定義づけができないのです。
かみさまはぼくの一部だと言ってもいい。
僕とかみさまのシンクロしているところに祈りという通路がひらいているというか。
あちらはフルタイム開放されているからこちらが開くかどうかというだけで。そしてそれは僕の一部である以上、シンクロしないことはないのです。
目の前の消しゴムやノートにもかみさまは存在している。
だから八百万のかみさまと僕にとっての唯一神はさほど違いはないのです。矛盾も対立もしていない。
ただしこれは僕が日本人的なメンタリティをもっているがゆえかもしれませんが。といって日本人的なメンタリティとはなんぞやって感じですが。
そんなわけで僕は多神教と一神教の対立みたいなものはナンセンスだと考えています。ただし、比較はおもしろいかもしれないですね。

ここまで書くと僕のかみさまはいわゆるキリスト教的なかみさまじゃないかもしれないです。
どうなのかな。
唯一神の宗教って、人は人、神は神ってはっきり区別して考えることが多いと思うのです。 かみさまについては考えだすとキリがないなぁ。
posted by 番長 at 06:18| Comment(3) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

ぼさりとさぼり

070120_1011~01.jpg▲手代木です。

少し間が空いてしまいました。
おうさまがこれではいけませんね。
まぁあんまり調子がよくなかったり、検査があったりしたこの1週間ほどでした。
最近は見事に情緒不安定です。
脳みそクリニックに行ったら、クスリが増えました。でも脳みそのクスリは即効性はないからねぇ。
がつんと効くのが欲しいぜ。
近々、骨粗しょう症対策のクスリも始まります。
自然治癒力という単語は僕の辞書にはないようです。

さて、メモ帳ね。
最近はいわゆるネタ帳というかアイディアノートのようなものを持っていません。
それでだいぶ損をしていることも多いとは思うんだけど、せいぜいが手帳に一言二言といった程度です。
アナログな日記もたまに書きますが、創作メモとは違う性質のものですね。暗黒ノートです。
ところがおかしなことに暗黒ノートで誰にも見せないはずなのに、読者を想定しながら書いている自分に気づきます。
特に入院してからはアウトプットが割と多くて暗黒ノートのネタがあんまりなかったりします。
というか、このところ少しものごとの考え方が変わってきているような気がします。
おおげさに書くと人生観。
今までだって確固たる人生観があったかというとはなはだ疑問ですが、なんだか今はちょっとした変化の時期のような気がしています。
どう変わっていっているのかは僕自身わかりません。
うーん。

そうそう。
だからお見せできるものがないのですよ。
いちおう暗黒ノートはきまったノート、きまったボールペンで書いていますが…なんて書くとなんだか呪いのノートみたいだね。
読み返してみてもたいして暗黒でもなかったりもします。特に最近は。
やはり何か変わってきているのかもしれません。

見た目はね、変わったよ。
いやぁ太った太った。
絶食してても人は太るし脂肪肝にもなるんですな。
10?弱は増えたんじゃなかろうか。
お風呂場で鏡を見ると知らない人が見えます。

かみさまの話は次回にでも。
かみさん募集のテシロギでした。
posted by 番長 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

演劇大学のこととか

070118_1930~01.jpg▲手代木です。

おうさまになるぜ!

いやいや、ねーさん、入院男子にセクシーショットは刺激が強いですぜ。

イラクの芝居は観たかったなぁ。外泊ができたら観られたんだけど今は無理で。残念でなりません。
どこかにいるということはそのどこかの生活を背負っていることでもあるので今、かの国で生活している人たちの演劇を肌で感じたかったし、それが今の自分の生活を映し出す鏡になると思うのです。

僕にとっての演劇は「Life」ということばになるのかな。生活とか命とか人生とか。規模の大小や表現のしかたは変わるけど、どこか芯としてもっていたいと思ってます。

さて、そうですね。
演劇大学のことですね。
僕は3年前から参加を始めました。
3年前は羊屋さんのワークショップに参加しました。最後の発表でホールのケーキをがぶりと食べたのが思い出。
一昨年はいろいろと見させてもらって、僕の中では「からだとことば」のことを考える機会になりました。
そして昨年はリアルとかリアリティとか、そんなことを考える機会だったと思います。
でもね、どうもリアルとかリアリティということばは僕にはなじまない気がしています。
しかたがないのでこのあいだは「ほんもののうそ」ということばを使うことにしたのです。
あるいはそれが僕にとっての「Life」なのかもしれません。

あれ?
記憶がぼんやりしてるけど、前半のときは入院中で、後半は入院明けだったのかな?
シンポジウムが前半と後半でぜんぜん雰囲気が違っていておもしろかったよ。
流山児さんの「とりあえずみんなであつまってなんかつくったらいいじゃん」ってのが、なんとも勇ましく。
演劇と映画では違うけど、映画だと脚本を複数の人で書くというのがあるよね。あれを演劇でもできないかなとか考えたり。
それぞれが得意分野を持ち寄って作品をひとつつくってみるのもおもしろいかなぁと漠然と考えたり。
お祭りじゃなくて作品としてね。
個々の活動で闘う部分もあるけど、頭つきあわせて闘ってみるのもいいなぁと思うのですよ。
今すぐじゃなくてもいいからゆっくりとでも準備できたらいいな。

しかしまさか後半で舞台に立つことになるとは思いもしませんでした。
ほんとは坂手さんのワークショップのみの参加だったんです。 それがなぜか三浦さんのワークショップにも参加することになって、なんだかひとりでばたばたしとりました。
結局坂手さんのワークショップには毎回遅刻せざるを得ず、いろいろリベンジ要素もあり、こうなったらもちっと真面目に野口体操を勉強しようと本を集め、また黒澤映画の穴の空いてる部分を埋めてみたりしている今日この頃だったりします。

どこかで話も出ていたけど、札幌から他の地方の演劇大学に出張できるようになりたいね。

そして橋口さん、もとい、ゆきえさんに会ったのでした。
ほとんど話もできずじまいで、連絡先の交換せずに別れてしまったんでした。
あぁ気になる人だったのに、シャイな自分を責めたものです(なんかうそくさいね)。
でもね、見ていると、すごくシャイだし、気ぃつかいだし、繊細にして大胆だし、ストレートなんだなぁと思いました、第一印象(第一でもないか)。

飲み会の出費はきつかったね。

あとは思い出しながらぽつぽつと書いていこうかな。
とりあえず大きな流れとしてはこんな感じで。

おるすばん、ちゃんとしときますよ。
あいかわらずまとまりがないですが、こんな調子でぽつぽつ書いていきますね。
posted by 番長 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おるすばんありがとう

VFSH0371.JPG

こんばんわ、ほしのあきです。

人生に敵の多い番長です。

くすりばこかわいーなあ。

番長は「オールド・ボーイ」人生のベストスリー映画だよ。

なかなか顔出せなくてごめんなさいね。

しばらくは「てしろぎくん見守りブログ」ね。

おうさまになってください。

ちきしょう!かみさま!と思ったのは小学校三年生くらいのとき

ユネスコの宿泊セミナーのようなものに参加してね

一泊二日で「人はなぜ生きるのでしょう、どのように生きるのでしょう」という問いがあって、さまざまな職業のおとなたちの人生のお話を聞きながら共同生活をしてその問いに答える、というものでした。

共同生活が激しく苦手で泣いたりしましたが結構一生懸命考えた記憶があります。

その最後の日に、各人が発表するんですが、主催のクリスチャンのおばちゃんが

「わたしは神様が生きろというから生きます。そして神様が生きろというように生きます」とまとめて

なんだよ!

と思った記憶があります。

それが答えか!とか考え続けえたこの二日は何だ!とか

いけんのひとつ、として捉えることが出来なくて、強要された気持ちになっちゃったんでしょうね。別にされなかったのにね。


それからずいぶん時間が経ちました。

いまでも「人間が解決できる限界」を書くことが演劇だと思っています。

それでも則天去私だとか、人の力の限界を超えたばしょで神様が必要だと思っています。

日々そばにいてくれる神様は

ともだちと

おとうさんと

自然でいまは十分だなあとおもう。

ちいさいかみさまが

ちょうどいいみたい。

こないだイラクの人たちのお芝居を見たよ。

爆撃が繰り広げられる映像があって、そこに写ってる人が実際目の前にいることがものすごく貴重に思ったよ。何が起こってるのか知る為に実際イラクに渡った日本の人たちも、全肯定すると、なんか強く思いました。

狂信的な人は実際はほんとに少数なんだなあ、と思った。

宗教を怖く思うのは、神様が言っていない事は絶対に受け入れてくれなさそーなイメージがあるからなんだけど、それはイメージに過ぎないんだなあと、今日は思います。

演劇は道具だというご本が出ていますが、宗教も道具なのかもなあと、番長は思っていてね。わるいのは神様じゃなく使い方でさ。

ものすごく最悪な使い方も、されているからね。

神様同士は対話をするのかなあ。


神様以外にも絶対正義をもっているひとびとと、どやったら会話できるかなあ。俺が持ってる絶対正義を、どやったら崩せるかなあと、日々思っていたりします。

かみさまといっしょにくらすたのしさとむつかしさをおしえてください。


はてはて

僕らはほんもののうそをつくるわけですが、人は一種の極限状態にあるとき、ほんもののうそを言うんじゃないかというのが最近の僕の仮説です。

さんせいだ。

番長は「ほんもののうそ」というのは祈りだとおもっているよ。

人々は極限で繋がるんじゃないかしら

というような台詞が、岡崎京子さんの漫画の中であったきがする。

ためしにいつ書いたか良く分からない書きなぐりのメモを公開します。

舌を噛んだ。言葉がなくて。

真実のようなもの、とても美しくて、とても暴力のような、幾重にも鍵をかけるのはなぜだろう。

人はどうせ死ぬので永遠なんて思わない。自分の名前を永遠に残そうとも思わない。
ただ生きている一日が、集い共に暮らす一日が、少しでも長いといい。

魔法はない、ただ人々の歩みがあるだけだ。

それでもただ一日
そばにいて同じものを共有して
たのしい と
ただ明るいココロだけで云う日があるのだろうか
なにも欲しがらず
なにも守らず
透明に
その一日のために残りすべての人生を生きることが出来るほどに。

音楽が世界を変えたりしない
だた鳴らす人間が、ゆっくりなにかをうごかすんだろう

暗黒物質
星々をつなぐ物質
知らないだけだ
それはあるのだ。


はてはて

以前、言葉が出てこなくなっちゃったひとから

空メールが来たことがあったよ。

それも

対話だなあと、なんか感動したことがありました。

よかったらてしろぎくんのメモ帳みせて

はずかしーからやーよねえ。

さてさて

演劇ブログでした

羊屋さんからメイルも届いていたので

手代木君と初めて出会った

演劇大学の話しとかどうですか?

最近ようやく

「リージョナル」の意味を調べたよ。

どうにもオクテでねえ。
posted by 番長 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 手代木くん(演出家) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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